「米沢牛の歴史」古くは戦国、藩政時代、明治を越えて今に受け継ぐ米沢牛 
よねざわ豆本(尾崎茂一著)によれば、戦国時代、近江国蒲生郡で生まれた蒲生氏郷が、伝統銘柄産地を結ぶキーパーソンであるという。氏郷は後に秀吉に仕え、1584年伊勢松坂城主、その6年後には会津若松城主に就き、現在の米沢市のある置賜地方も領しました。有名な代表牛を生産する近江、松坂、米沢がかつて蒲生氏に統治された領地であるという不思議な事実があります。
その後、上杉氏が藩主となり、1681年米沢藩主が牛の飼育を奨励したのが記録に残る飼育の始まりとされ、実際に牛肉を食べたという記述は市史によれば明治元年、官軍に牛2頭を献上し、医師や負傷兵に調理して出したのが最初となっています。
明治4年から8年までの間、「御雇外国教師」であったC.H.ダラスが契約を終え、米沢を去るにあたって、いよいよ米沢牛が有名となるきっかけが起こることになります。ダラスは、任地米沢の牛肉が非常に美味で、品質も暖かい地域にはないような優れたものであったため、横浜の居留地に土産を兼ねて紹介したところ、大変好評を博し、米沢牛の名が一時に広まります。明治初期の牛は食用として育てられていなかったにも関わらず、美味であったことには理由があります。
それは、家族同様に飼い牛を大切に扱う人情と、四季の変化が厳しい風土、そして、なにより水と草に恵まれたことが自然に結びついて、優れた肉質に仕上がることになったのです。
このような基盤があったからこそ、米沢牛育成の伝統が受け継がれ、今日の米沢牛があるのです。